玉井宮東照宮について
本殿(東照宮本殿)
玉井宮東照宮の御祭神は豊玉比売命、彦火火出見命、玉依比売命、徳川家康公になります
本社は、 明治14年(1881)玉井宮と東照宮は合祀され、社名を玉井宮東照宮とし、県社に列格しました。その後、明治33年(1900)旧玉井宮の建物を移転し、西日本屈指の大拝殿の建立等大造営が行われました。
ですが、大東亜戦争時の空襲も残ったその立派な社殿郡も平成元年(1989)1月31日未明不慮の火災により、本殿を残し幣拝殿・神饌所・社務所・参集所等焼失しました。しかし、氏子崇敬者の尽力により、4年の歳月をかけ現在の姿に復興した。本殿並びに随神門、石燈籠群は焼失を免れ、東照宮創建当時まま現存しています。
ご利益として、嘉永3年(1850)高松中納言季実卿の執奏により、皇后ご安産のご祈願を行い、当時の祠官佐々木左兵衛介は上京参内しお守り札を献上している。その時高松中納言から「大君の御子のいのりの功績を雲井に高くきこえあげたり」という和歌が下され、ご祭神の謂われとともに安産の大神として崇敬を集めています。
東照宮は岡山城・城下町・政の鎮護です。
また、玉井宮元地は岡山での海路で非常に重要な場所に鎮座していたこともあり海運、交通安全の大神でもある。